西宮北部地域(愛の郷だよりバックナンバーより)

西宮市の地図を見ると盤滝トンネルを挟んで北と南に2分されています。
北部は昭和26年に山口村と塩瀬村が西宮市に合併した地域です。旧山口村は中心部を有馬川が流れ、かつては有馬温泉と三田を結ぶ国鉄有馬線の沿線でその途中駅『有馬口』という駅が山口村にありました。これは現在の神戸電鉄の有馬口駅とは違う駅です。

この有馬線は沿線の人々の利用と旧有馬郡の特産品を運ぶために開通したものだけに、有馬村と同じ神戸市を希望する人がほとんどでした。旧塩瀬村は名塩と生瀬を合わせた地名で、宝塚と市街地が続いていて宝塚寄りの立地です。

旧山口村・塩瀬村は西宮市の他の地域とは陸続きではありますが、それぞれ、神戸市・宝塚市と合併した方が自然と思われる場所です。現在の西宮市山口町・塩瀬町と市内の他の地域とは急峻な六甲山脈に遮られて事実上飛び地の状態になっています。それが原因で不都合が生じます。

例えば現在西宮市には救急車は10台あり、私たちを担当する山口分署と名塩駅前の北消防署に 1 台ずつ配置されています。つまり、西宮北部の山口地区と名塩・生瀬地区はこの2台の救急車が守っています。

しかし、西宮市の救急車の出動件数は年間約 18,000 件ですが、西宮北部の両地域の合計出動件数は 1,300 件にも満ちません。つまり、この 2 台のどちらかが他の地域からの救急応援に行かなければなりません。だから救急車が不在のことが多くなっています。消防署に伺うと、通報してから救急車の到着まで「全国平均で 6.5 分かかり、西宮市は 5 分以内だ」とおっしゃっていました。但し、この時間は北部地域(山口・塩瀬)は除かれていました。北部地域は運が悪いと 20~30 分待つ必要があるそうです。その間、AED、胸骨圧迫、人工呼吸が必要となります。もともと、この2町の前身である有馬郡山口村・塩瀬村は隣接する有馬町・有野村が昭和 23 年 3 月 1 日神戸市に合併したのち、まだ神戸市と合併していなかった大沢村・八多村・道場村とともに神戸市への編入を希望していました。けれども、この2村は兵庫県の反対にあい断念しました。

そのころ宝塚市はまだ存在せず、武庫郡良元村・川辺郡小浜村(後の宝塚町)・長尾村・西谷村に分かれていて、良元は西宮市から、長尾は伊丹市からそれぞれ合併の誘いがありました。そんな中、西宮市は山口・塩瀬2村に対し合併話を持ちかけ、両村は神戸市との合併が絶望になったのを受け、誘いに乗り、昭和26年4月1日西宮市と合併しました。なんとその3ヶ月後の7月1日、かつて足並みを揃えていた大沢・八多・道場3村が神戸市との合併を果たした。武庫郡良元村が西宮市との合併話を蹴り小浜村(宝塚町)と合併し、宝塚市が誕生したのは3年後の昭和29年4月1日のことでした。

このようにして山口町・塩瀬町は西宮市と合併しましたが、タイミングが違っていたなら、両町は神戸市、宝塚市と合併していても不思議ではありませんでした。そうなっていれば西宮市は面積が半分の小さな市で現在のような発展はなかったと考えられます。

 

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